風俗バイトをする前にやるべき事「金沢編」

茶屋街から、金沢風俗の歴史が見えてくる!?

金沢の茶屋は昔ながらの雰囲気金沢の有名な観光地の一つに「茶屋街」があります。金沢の茶屋街の中には、1820年から現存する茶屋もあり、当時の雰囲気を感じることができます。
昔の茶屋街といえば大人の社長場です。要は、現代版の風俗店みたいなものです。不思議なことに三大茶屋街と呼ばれる大きな茶屋があるのに、金沢にはソープランドやファションヘルスを含めた店舗型の風俗店が一切存在しません。このことから金沢は風俗不毛の地と呼ばれているようです。金沢の三つの茶屋街の歴史を考察し、なぜ店舗型風俗店がないのかを探ってみたいと思います。茶屋街の歴史を知ることは、金沢で働く際に役に立つでしょう。

金沢の3大茶屋街

夕暮れの茶屋街はお座敷遊びと共にまずは、東山にある「ひがし茶屋街」です。金沢の茶屋街の共有点はすべて金沢城の周辺にあることです。金沢城の近くにあるということは観光拠点の金沢駅からも少し距離があります。駅から観光周遊バスが出ているのでそちらを利用しましょう。「橋場町」下車で、そこから徒歩5分です。
ひがし茶屋街は、加賀藩公認の茶屋街で規模は金沢で最大です。花街と表現したのは、金沢の茶屋は、一般的な現代版風俗嬢の遊女が属する遊郭ではなく、芸妓さんを呼んで、舞い・歌・茶などの高貴な場であったようです。1820年のひがし茶屋街設立から営業している「懐華楼(かいかろう)」は、当時の雰囲気が味わえる貴重な場所です。金沢市指定保存建物にも指定されていて、金沢で一番大きな茶屋です。お昼は見学(見学料750円)が可能です。そして夜は一見さんお断りの一客一亭のお座敷となっています。夜のお座敷では、芸妓さんとのお座敷遊びが楽しめますが、「一見さんお断りの一客一亭」で分かるように、かなり格式が高いものです。当然、働いている芸妓さんも身分が高い女性しかおらず、身分が低い女性は花街の裏手界隈で男性に声を掛けて「連れ込み宿」に誘いお金を稼いでいたようです。現代のちょんの間です。ひがし茶屋は、客人も働いている女性も高貴族のみですが、その北側にある「愛宕(あたご)遊郭」はかなり庶民的であったようです。
次は「にし茶屋街」です。野町に位置しており金沢駅からの路線バスか在来線西金沢駅から北陸鉄道石川線に乗り、野町駅で下車してスグです。誕生は、ひがし茶屋と同じタイミングの1820年です。ひがし茶屋と比べると規模はかなり小さく、少し寂しいと感じるかもしれません。しかし、甘納豆で有名な「かわむら本店」やスペイン王室御用達ショコラの「カカオ サンパカ」があるので見逃せません。にし茶屋街も、ひがし茶屋街同様の花街です。しかしこちらには、裏手に江戸幕府公許の遊郭がありました。その名は「石沢(いっさか)遊郭」。場所は増泉です。
最後は「主計町(かずえまち)茶屋」です。こちらは、上記の同時期に出来た茶屋とは異なり、明治になってから発展をしていきました。茶屋街の一本奥に遊郭が作られたのも同じ時期の明治で、それが要因で茶屋にも人が流れていき繁栄しました。主計町茶屋街は、浅野川に面しており、川のせせらぎを聴きながら茶屋遊びが出来たようです。

金沢遊郭は滅び、金沢風俗の中心はデリヘルへ

金沢のちょんの間は終戦後に壊滅茶屋周辺の遊郭は、江戸時代から戦時中までは繁栄します。しかし、終戦後の売春防止法によりほぼ壊滅します。その後、赤線の名残で「ちょんの間」として成り立っていましたが、近年の一斉摘発により現在は閑静な住宅街となっています。一方、茶屋街は当時の伝統のみ受け継ぎ、現在にいたっています。
以上のことから、金沢で風俗のアルバイトをする際は業種が限定されます。デリヘルやホテヘルのような店舗を構えない、派遣型風俗店を選ぶほかなさそうです。もし、インターネット上でソープランド、ファッションヘルス、ピンクサロンなどの風俗店が募集をしていたら、そのお店は違法店なので決して応募しないでください。残念ながら金沢には店舗型の風俗店は無いのです。しかし、キャバクラ・セクキャバ・アロマエステなどを提供する非風俗エステ店はその限りではありません。